新着情報

5月6日(木)より患者着を導入させて頂きます。
それに先駆けて、本日よりタイツを男女兼用にさせて頂きました。
ハード面は準備が整ってきました。
しかしソフト面がまだまだ準備不足です。
5月6日(木)までには何とか間に合わせたいです。


中段左からS,M,L
下段左からLL,3L,4Lです。

花みずき整体院

兼ねてからご案内しておりました患者着の導入についてですが、詳細日程が決まりましたので、ご報告させて頂きます。

5月6日(木)からとさせて頂きます。

 

全ての方に当院が用意した患者着を着て頂きます。お着替えのお時間がありますので、いつもより少々早めに御来院下さい。

 

以下は以前ブログで患者着についてご紹介した記事です。一緒にご確認下さい。

http://hanamizukiseitai.hamazo.tv/e2027353.html

5月の休診日について

5月1日(土)午後、5月2日(日)、5月8日(土)午後、5月23日(日)は研修の為臨時休診致します。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い致します。

このようにカイロプラクティックの発展に尽くしたクレイの唯一の楽しみは、釣りであった。

ある日、Dr. マートン・ガンステッドに南米のアマゾンに釣りに行こうと誘われたので、行くことになった。南米まで飛行機で行き、そこから小型飛行機に乗り換えて、やっとアマゾンの釣り場にたどり着いた。

釣り場の近くにある原住民の村を見学に行こうということになり、クレイとマートン、それに2人の医師と通訳や道案内の数人で原住民の村へ行った。

 村ではウィッチドクターが一生懸命にお祈りのようなことをしていた。

案内人は、この村の村長が病気でひどい頭痛と腹痛に悩まされている、誰か治せる者はいないかと言ってきたので、医師でなくカイロプラクターのクレイにその役目が回ってきた。

クレイは村長の頸を触診すると、頸椎2番が右の方に出っ張っていたので、その部位を古いやり方のロータリーブレイクで矯正した。大きな音がしてしばらくすると村長は頭痛と腹痛がとれたと言って大変喜んでくれた。

著作権 ルネッサンスジャパン

B. J. パーマーはクレイにこう言った。

「時にはアトラス、アキシャス以外の所を矯正しなければいけない時があるかもしれない。」

 このB. J. パーマーの一言で、クレイはトムソン・ターミナルポイントテーブルを作ることになる。1958年頃のことであった。

やはりB. J. パーマーは学園祭に間に合わして欲しいと言ったが、今回は学園祭まで時間があったので、デブンポートの西にある工場で様々なテストをしながら、何ヶ月かけて作り上げることが出来た。

 学園祭でクレイは、B. J. パーマーの治療方針が変わったと多くのカイロプラクターから言われるのではないかと心配したが、B. J. パーマーは基本の上部頸椎メィジャーは全く変えなかった。

この時発売されたトムソン・ターミナルポイントテーブルの1号機は、現在サラソタのB. J. 博物館に保存されている。

 B. J. パーマーは偉大なカイロプラクターであった。彼は常にカイロプラクティックの科学を求めて、より正確なデーターをもとにしてカイロプラクティックを発展させてきた。

B. J. パーマーはクレイの機械工学の能力を高く評価していた。

 ある都市の学園祭が近づくと、B. J. パーマーはクレイを呼び、彼に脊柱をNCM(ニューロカロメーター)で仙骨から後頭骨まで測定するときの速度が人によって違うので、正確な情報が得られないので一定の速度で測定できるようにして欲しいと言った。

クレイは早速、デブンポートの西にある工場で研究した。そしてモーターを取り付けることによって一定の速度で、誰にでも同じように測定できる器具を発明した。

 このような発明のパテントを全て、クレイはパーマースクールに渡した。そのためパーマースクールは常に資金に困ることはなかった。B. J. パーマーのクレイに対する信頼は絶大であった。

著作権 ルネッサンスジャパン

クレイはB. J. パーマーを何回となく矯正したが、いつもB. J. パーマーは「クレイ、ちょっとここが違うんじゃないか、クレイここのところが正しくない・・etc」など難癖を付けて、B. J. パーマーが一番ということを強調した。

後にクレイは「B. J. は私が、No. 2であることを示したかったのかもしれない。B. J. がNo1. であり私はその次のNo. 2であることを。」と話していた。

 B. J. パーマーはクレイが新しく作ったヘッドピースに横になりクレイにアジャストするように言った。

クレイはB. J. を横向きに寝かせ素早くターグルリコイルを行った。するとB. J. は「クレイ、これは私が受けたアジャストの中で最高の物だ。私はこのようにアジャストによって最高の気分になったことは今までなかった。このテーブルが欲しい、このテーブルを学園祭の前に作ってくれ。」と言った。

 B. J. は欲しい物があるとすぐに欲しいという癖があった。学園祭まで後一週間しかなかったが、クレイは作り上げて、学園祭に全米から集まったカイロプラクターに賞賛された。

 1940年代のパーマースクールは資金不足に悩まされていたので、クレイはこのテーブルのパテントをパーマースクールへ贈与した。このことによりパーマースクールは資金不足から開放された。

B. J. パーマーは、クレイの作ったヘッドピースを全身のアジャストに使えるように応用してみたらどうだ、とクレイに言ったので彼は驚いてしまった。なぜならB. J. パーマーはアトラス、アキシャス以外のサブラクセィションを信じていなかったからである。

著作権 ルネッサンスジャパン

昨日、家族とお花見に行ってきました。
藤枝の金比羅山です。
ほぼ満開でした!!
初めて金比羅山に行ったのですがすごくキレイでした。
こんな近くに名所があるんですね。

今週末が最後の見頃でしょうか。
皆さんも是非行ってみてください。

しかし寒かったぁ・・・。
来週は神谷城のしだれ桜でも見に行こうかな。

桜開花情報はコチラ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島田市の整体・カイロプラクティック院です。島田市・藤枝市・焼津市・静岡市・掛川市・袋井市・磐田市・浜松市・菊川市・牧之原市・吉田町・榛原町・相良町・川根町・川根本町などから来院されています。静岡県島田市旗指447-2 花みずき整体院 http://hanamizuki-seitai.jp/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クレイがパーマースクールに入学する少し前からB. J. パーマーはエレクトロエンセファロメンティンポグラフの完成に力を入れていた。

 クレイがレントゲン学科で、様々なレントゲン写真を見た結果、最初の撮影と治療後の撮影の正確さに疑問を抱き、彼は撮影時に頭を固定する器具「ヘッドクランプ」を発明して特許を取った。さらに1952年には「ヘッドピース」をデザインした。1949年にはクレイは18ヶ月コースを終了したが、その後4年間パーマースクールに残り、P.H.Cの称号を取得したが、後にC.C.Eがこの称号を返却するようにクレイやD. D. パーマー、Dr. ニップ・クィグリー、Dr. ゲイレン・プライスに言った。クレイ以外のドクター達はそれに従ったが、クレイはC.C.Eの人たちを「ゴー ツゥ ヘル」と言って追い返したので、クレイはその後もP.H.Cの称号を持っている。

 クレイがパーマースクールで学んでいたときの先生で、Dr ライル・シャーマン(後に彼に敬意を表してシャーマン大学が設立された)がとても印象的だった。

 クレイは卒業する6ヶ月前からパーマースクールの教壇に立ち、テクニックと衛生学を教えながら、学生クリニック(当時は入学して6ヶ月後にはクリニックで患者を診る事が出来た)で得た180名の患者がそのまま彼のもとに来たので、開業と同時に安定した収入を得ることが出来た。

 卒業間近になるとパーマースクールで教えられたアトラス、アキシャスの矯正だけでなく色々なアイデアが浮かんできた。しかし、この頃のパーマースクールで骨盤や仙骨を触ったら退学になってしまった。

 クレイは常に体のバイオメカニズムを考えていた。ある日、Dr. チャースが赤ん坊をアジャストするのを見てひらめきが沸いた。それがもとで1952年にトムソン・パーマー・ヘッドピースを発明し特許を取得する事となった。

 次にクレイが開発したのはヘッドピースの部分が磁気によってヘッドピースが落ちるときに加速度が付くメカニックの物で、これをB. J. パーマーはとても気に入ってくれた。

ローカル番組、静岡発「そこ知り」の話題です。
2010年3月10日(水)のそこ知りは・・・川根が案内されます。

『知る人ぞ知る癒やしのスポット、春の川根路お湯めぐり』と題して、川根のコテージや川根温泉、川根温泉の近くの生キャラメル屋さんが紹介されます。

この生キャラメル実はかなり美味しいんです!煎茶を使った生キャラメルがあるのですが、まさに絶品!!場所は川根温泉を北に5分~10分くらい。SLを真下に見下ろす吊り橋がある辺りです。

詳しくは番組をご覧下さい。番組ホームページはコチラ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島田市の整体・カイロプラクティック院です。島田市・藤枝市・焼津市・静岡市・掛川市・袋井市・磐田市・浜松市・菊川市・牧之原市・吉田町・榛原町・相良町・川根町・川根本町などから来院されています。静岡県島田市旗指447-2 花みずき整体院 http://hanamizuki-seitai.jp/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この頃パーマースクールの先生達は皆、カイロプラクティックの哲学を話した。化学、骨学、解剖学などの先生も含む全ての先生が、時間を見てカイロプラクティック哲学を話した。

大学の食堂でも、学生達は哲学の話で持ちきりで、現在のパーマー大学とは違った雰囲気であった。誰もがカイロプラクティック哲学に興奮し、論議に夢中になった。

 B. J. パーマーは週に1回、講堂に全学生を集めた。夜の8時10分前に来て、8時になると「グットイブニング」と言って講義を始めた。1分でも遅れた学生には「ゴー ツウー ヘル(地獄へ行け)」と言ってドアに鍵を閉めた。講義中は誰も入れないし、トイレのために外に出ることも出来なくした。

B. J. はあらかじめ用意した原稿を読み、それが終わると哲学を話した。これが学生にとって最大の楽しみであった。

 有名な話だが、B. J. パーマーは毎日夜9時になると休み、朝3時には必ず起きて思いついたことをタイプすることを毎日行っていた。そのようにして出来たカイロプラクティック哲学を、夜8時に学生達を集め、話をしたのである。

学生達はB. J. パーマーの話に興奮し、パーマースクールは哲学によって大きな団結を得た。

 後にB. J. パーマーはこのような講義に疲れて、行わなくなったが、B. J. クリニックの中にあるB. J. パーマーがコレクションしたナイフの飾ってある部屋に、クレイは何人かの学生と共に行きB. J. パーマーから哲学の話を聞くのが楽しみであった。

前のページ 57  58  59  60  61  62  63  64  65  66  67

page top