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2010.04.06

クレイトムソン物語⑩

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B. J. パーマーはクレイにこう言った。
「時にはアトラス、アキシャス以外の所を矯正しなければいけない時があるかもしれない。」
 このB. J. パーマーの一言で、クレイはトムソン・ターミナルポイントテーブルを作ることになる。1958年頃のことであった。
やはりB. J. パーマーは学園祭に間に合わして欲しいと言ったが、今回は学園祭まで時間があったので、デブンポートの西にある工場で様々なテストをしながら、何ヶ月かけて作り上げることが出来た。
 学園祭でクレイは、B. J. パーマーの治療方針が変わったと多くのカイロプラクターから言われるのではないかと心配したが、B. J. パーマーは基本の上部頸椎メィジャーは全く変えなかった。
この時発売されたトムソン・ターミナルポイントテーブルの1号機は、現在サラソタのB. J. 博物館に保存されている。
 B. J. パーマーは偉大なカイロプラクターであった。彼は常にカイロプラクティックの科学を求めて、より正確なデーターをもとにしてカイロプラクティックを発展させてきた。
B. J. パーマーはクレイの機械工学の能力を高く評価していた。
 ある都市の学園祭が近づくと、B. J. パーマーはクレイを呼び、彼に脊柱をNCM(ニューロカロメーター)で仙骨から後頭骨まで測定するときの速度が人によって違うので、正確な情報が得られないので一定の速度で測定できるようにして欲しいと言った。
クレイは早速、デブンポートの西にある工場で研究した。そしてモーターを取り付けることによって一定の速度で、誰にでも同じように測定できる器具を発明した。
 このような発明のパテントを全て、クレイはパーマースクールに渡した。そのためパーマースクールは常に資金に困ることはなかった。B. J. パーマーのクレイに対する信頼は絶大であった。
著作権 ルネッサンスジャパン

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