クレイトムソン物語⑧
クレイがパーマースクールに入学する少し前からB. J. パーマーはエレクトロエンセファロメンティンポグラフの完成に力を入れていた。
クレイがレントゲン学科で、様々なレントゲン写真を見た結果、最初の撮影と治療後の撮影の正確さに疑問を抱き、彼は撮影時に頭を固定する器具「ヘッドクランプ」を発明して特許を取った。さらに1952年には「ヘッドピース」をデザインした。1949年にはクレイは18ヶ月コースを終了したが、その後4年間パーマースクールに残り、P.H.Cの称号を取得したが、後にC.C.Eがこの称号を返却するようにクレイやD. D. パーマー、Dr. ニップ・クィグリー、Dr. ゲイレン・プライスに言った。クレイ以外のドクター達はそれに従ったが、クレイはC.C.Eの人たちを「ゴー ツゥ ヘル」と言って追い返したので、クレイはその後もP.H.Cの称号を持っている。
クレイがパーマースクールで学んでいたときの先生で、Dr ライル・シャーマン(後に彼に敬意を表してシャーマン大学が設立された)がとても印象的だった。
クレイは卒業する6ヶ月前からパーマースクールの教壇に立ち、テクニックと衛生学を教えながら、学生クリニック(当時は入学して6ヶ月後にはクリニックで患者を診る事が出来た)で得た180名の患者がそのまま彼のもとに来たので、開業と同時に安定した収入を得ることが出来た。
卒業間近になるとパーマースクールで教えられたアトラス、アキシャスの矯正だけでなく色々なアイデアが浮かんできた。しかし、この頃のパーマースクールで骨盤や仙骨を触ったら退学になってしまった。
クレイは常に体のバイオメカニズムを考えていた。ある日、Dr. チャースが赤ん坊をアジャストするのを見てひらめきが沸いた。それがもとで1952年にトムソン・パーマー・ヘッドピースを発明し特許を取得する事となった。
次にクレイが開発したのはヘッドピースの部分が磁気によってヘッドピースが落ちるときに加速度が付くメカニックの物で、これをB. J. パーマーはとても気に入ってくれた。